ワイ「アジカンの曲良いよな」敵「でもボーカルの思想が…」←これ


僕たちがやっていること、音楽ほどプライベートなものは無いと思うんです。なぜなら、聴くことを誰かに肩代わりしてもらうことはできないから。だからこそ、人のプライベートな部分に訴えかけられる。そこから土を耕したり、種を撒いていきたいなと。そして、ひいては、社会が豊かになればミュージシャンにとっても幸せな時代が来るんじゃないだろうか。いい音楽を鳴らして、そこに対する拍手も今よりもっと大きくなるんじゃないだろうかという期待もある。だから話を戻せば、全部自分のためにやっています。この社会の不寛容さが解きほぐされて行けば、もっと瑞々しい芸術が世の中に出てくるはず。それはリスナーとしての自分も楽しいし、作品を作る上でも刺激になる。濃いやりとりをできるようになると思います。だから、ニュース・ペーパーを作ることも音楽活動もちゃんと繋がった上でやっているんです。全部自分に絶対返ってくると思います。


もう少し怒った方がいいと思っているんですよ。僕たちの世代には何も用意されていなかったということを。この社会には空洞があって、この社会を作った人たちは高齢者への入り口に立っていて、否応なく僕たちより先にいなくなっていく。その時にまだ、自分たちの世代が空洞だったら嫌じゃないですか。どんな業界を見てても思いますよ。上の人たちがとにかくつっかえています。だから、自分たちが活躍できる場を、自分たちで作っていかなきゃいけない。みんながそう思って動き出したらいいなと思うんですけど、実際のところ「NO NUKES」「NO WAR」という太文字だけでは世界は何も変わらないので。

楽しい… うーん、難しいですよ。メンバーとのビジョンも全く同じではないわけだし、それに対していちいち怒って「俺について来い」っていうのも僕は違うし。だったら考え方の違う彼らと何を一緒に作れるのかなって。そういう作業を経て、アジカンはポップ・ミュージックになるんだと思います。この間口の広さを与えてくれるのは彼らなんです。だから彼らとじゃなきゃできない。例えば僕がソロ曲を作ったところでアジカンみたいに色んな人に聞いてもらえる曲にはならないですよね。ビートルズもあの4人だからよかったわけで、ポール・マッカートニーなら知らない曲もいっぱいあるもの。

アジカン後藤正文さん、ソロ新作は故坂本龍一さんへの「近況報告」

アジカンは一番大きい装置ですからね。僕が今持っている中で一番大きいロボットだから、それに乗るときにはやはり気合いを入れないと。その大きさを、やっと面白がれるようになってきた。

10~20代は自分とバンドが一体で「これしかない」みたいな気持ちだったんだけど、歳をとってくると、徐々にセパレートしていきますよね。色々と自分で考えを進めていくうちに、ひとりの表現者として色んなところで面白いことをやりたいと思うようになった。もちろんバンドは好きでやっていることではあるんだけど、アジカンだけをやらなきゃいけないなんて誰にも決められたくない。

エネルギーの話じゃなくてもいい、未来に繋がれば。でも、今やっていることは未来に繋がると思います。世の中は個人の集積でしかないので、一人一人の意識が高まらない限りは何も変わらないと思うんです。個々の意識を少しずつ変えていくことが、今、僕たちにでき得ること。原発をなくすというところまでは直接的に担えないと思えます。だから、「花や実の部分までは手が届かないから、まずは土をやろう」みたいなイメージ。それをじっくり続けていくこと。10年続けたら何か変わるかもしれない。アジカンの「NANO-MUGEN FES.」も含めて、この抗い方には実感があるんです。僕らがフェスをやることで、アジカンの周辺には洋楽も邦楽も好きな人は増えてきましたからね。

だったら「日本から一気になくなった炭鉱の街のことはどう思ってるの?」「それを復活させることについてはどう考えるの?」「夕張市が破綻したことについてどう思うの?」と訊いてみたい。でも… エネルギーの産業って実は今考えているようなことが繰り返されてきて、トレンドが変わる度に人の考え方やライフ・スタイルごと変えなきゃいけなかったんじゃないかと思うんですよ。そういえばこの間、恵比寿の写真美術館にフェリーチェ・ベアトが撮影した江戸時代の写真を見に行ったんです。そこで思ったことなんですけど、江戸の町は発展していたけど、田舎の方の日本人は西洋の人から見れば未開の部族みたいだったろうなって(笑)。でも、そういう時代があったということをもう一度振り返って直視した方がいい気がする。1860年代頃からものすごい勢いでここまで来て、便利なことが当たり前みたいな顔をして生活していますけど、日本人は長らく未開の部族みたいな生活してきたんだよって。


マルマルピスピスさんの回答「アジカン結構好きですけど、後藤はアジカンとしてのライブでは政治発言しないのでは?」

起こりましたね。そして同じものが日本中にありますね。使用済み燃料棒も原子炉の中に入っていれば、プールに入れておくよりは多少マシだろうけど、使い終わったら出さなきゃいけないわけでしょ。なら、もうなるべく原発を新設するのを止めて欲しい。僕が期待しているのは、どうにか原子力を使わないエネルギーに移行していけないかということ。仮に原子力を使い続けるならば、大量に出てくるプルトニウムとかを何らかの方法で無毒化するとか、放射能をなくすとか、分裂させるとか、そういうことを行えないと、この問題は未来永劫続きますよね。あと、人間が起こすヒューマン・エラーも怖いですよね。ああいう事故が起こって、責任が誰にあるのかがわからなくて、どうしようもなくなって、それを整理しないままもう一度使うっていうのは、筋道として危ない。

【炎上】アジカン後藤さん、フジロックで政治批判替え歌「ガースーもう ..

【AERA2024年12月16日増大号(12月9日発売)】YouTubeなどのプラットフォーム上で、2Dや3Dのアバターを使って動画を配信する「VTuber」。2016年の誕生以来、右肩上がりで拡大し、2023年度は国内市場規模800億円にまで成長。いまやエンタメ界をリードする存在になりつつあります。グローバルな展開も加速するVTuberの最前線をお届けします!

アジカン後藤のツイッターがやばすぎた #邦ロック #アジカン #後藤正文 #ゴッチ #ぼっちざろっく ..

とにかく、放射性廃棄物の問題が気になっています。たった一カ所、フィンランドにオンカロという核の処理場があるけど、それもまだ動き出している訳じゃない。「INTO ETERNITY : 地下深く 永遠(とわ)に ~核廃棄物 10万年の危険~」(監督 : マイケル・マドセン)という映画にも出てくるんですけど、核廃棄物が無害になるには10万年かかる。10万年もあれば、その間に誰かが核廃棄物を解決する技術を開発するだろうっていう楽観的な思想に基づいて動いているんですよ。いろんな人の話によると、人類が言葉を発明して5千年強だと言われていて、5千年経ってもまだ正しく扱いきれていないじゃないですか。例えば、ラテン語を自由に扱える日本人がどれだけいるんだって話。現在の英語のような共通言語であったラテン語も、今では一般人には理解できないわけです。となると、もう、想像が及ばないですよね。想像もできない10万年後のことを前提にして物事が進められているんです。コストの面でも換算されていないんだから、これからどこかの世代が割を食う確率が高い。まあ、単純に言えば年金みたいなことをやってしまっているんですよね。もっとスケールがでかくて、もっと未来のことを考えていない、今生きている人たちだけの分配しか考えられていないやり方。これを続けていくと、とんでもないことが起きるんじゃないかって思います。

名前の元ネタのアジカンの後藤が悪いんじゃ…… 72二次元好きの匿名 ..

何となくのテーマは僕が持っていきますけど、まあみんな考えてることはそんなに違わないので。でも「やりたいことがあったら言ってくださいね」とは伝えています。一号に掲載された岩手のページはスタッフの意向で作られたものですしね。その辺の感覚はバンドをやっている感じと近いです。コンポーザーとして最終的なミックスを見るというか。

アジカン後藤正文と赤川次郎「共謀罪が必要なら五輪なんか開くな」

Twitterで人を集めましたね。「俺、新聞作ろうかなー」ってつぶやいたら、わーっと反応が来て、取材で知り合った編集者の方が来てくれたり、会ったことのないイラストレーターの方もレスをくれて、作品を見せて頂いて良かったから声をかけていくとか。デザインはアジカンを一緒にやり始めて、途中で抜けてデザインの道に行った大学時代の友達にお願いして、第一号の表紙のイラストはにお願いして。

久米宏、明石家さんま、鴻上尚史、アジカン後藤、ウーマン村本… ..

さっきの吟遊詩人の話とも繋がるんですけど、僕には「越境せよ」というテーマがあるんです。音楽に関しても、ジャンルを渡り歩いていかないと蛸壷になってしまうという危機感があるんですよ。アジカンは日本語でがっちりやっているから邦楽ロックってことになりますよね。お客さんもみんな邦楽ロック好きばかりが集まっちゃって、閉じてくるんです。そうなると面白くない。世の中は常に整理されようとしているから、そこに抗っていかないといろんなものが閉じていくように感じるんですよ。アジカンとしては、「NANO-MUGEN FES.」で抗って、細分化を拒んでいます。何においてもそうなんだけど、ヒップ・ホップやロックンロールやジャズが生まれた時って、何かを越境して文化が衝突した時ですよね。僕たちがやっている事はもっと狭いことかもしれないけど、それでもジャンルを越境していく意識がないと、音楽が死んでいってしまう。「FUTURE TIMES」においてもその意識はありますね。

アジカン思想強すぎるからめっちゃ好きってわけじゃないけど曲は ..

とても大事な視点だと思います。「アメリカン・ユートピア」に関しては、デヴィッド・バーンが何も損なわず、言いたいことを明確に言っているように感じたし、すごくカッコいい大人だと思ったんですよね。音楽もすごくいいんですけれど、「よかった」では終わらない何かがあるし、映画を観た人にいろいろな気持ちを持ち帰らせる作品だなと。エンディングでデヴィッド・バーンが自転車に乗って劇場を出るんですけど、そこにもメッセージが感じられて。ただ、音源(アルバム「アメリカン・ユートピア」)の段階では「女性アーティストとのコラボレーションがまったくない」という批判もあったんです。映画が公開されたときも「アジア系のミュージシャンが参加していないのはなぜか」という意見があったし、社会的な課題はどんなところにも存在しているんですよね。それを受けて、また新しい作品につながるんじゃないかなと。

アジカン#ASIAN KUNG-FU GENERATION#後藤正文

紙やメディアに記すことの意味については、ずっと考えているんです。音楽も同じで、例えばOTOTOYで音源を買えば、CDよりいい音質で音楽を楽しめるじゃないですか。じゃあCDで出す理由は何? メディアを実体化することの意味は何だ? という問いが僕の中にずっとあって、その答えは、インターネットより肉体性をもって実生活に飛び出すことなのではないかと。ネットでは検索エンジンにひっかからないと情報を集められなかったり、それなのに目の前の情報に飛び付かないと追いつけないほどのスピード感があったり、広がりがないというか… バグが少ない感じがするんですよね。実体としてある物の強さって、そこにある、否応なくある、というところにある。例えば誰かが喫茶店で「FUTURE TIMES」を読んで、広げたまま店を出ちゃう。次にその席に座ったアジカンのことを全然知りもしないおじさんが、たまたまエネルギーの記事を目にして、「これ、使えるな」と思って手にとる。そういうことが起こり得るのが面白い。実際、南相馬で林業をやっている人がペレットストーブ(木質ペレットを燃料とするストーブ)の記事を読んで「これは私たちでも出来るんじゃないか」と検討を始めたそうで、これってネットの中だけだと起きないことですよね。完全に音楽の現場を跳び越しちゃっている。音楽をやっている人の記事には、やっぱり音楽好きしか集まらないんで。

アジカン、大好きだったけど後藤が極左思想だと言うのを知ってから聴く気が失せた。音楽と政治思想は別だと言うのは頭では分かってるんだけど….

震災が起こる少し前、音楽史の本をよく読んでいたんです。僕たちは西洋から文化を輸入してロックをやっているわけだけど、日本語を使って邦楽としてやる上で、これからどう活動していくのが自分たちの文化を作ることなのか、アイデンティティーを保つことなのか、そういうことを考えていて。そして本を読み進める中でポップ・ミュージックの成り立ちに行き着いて。ポップ・ミュージックの初期のひとつの形って中世の荘園を転々とバイオリンを弾いて回っていた吟遊詩人なんですよね。彼らは「どこの荘園ではこんな事件があった」「あの辺では戦の準備が始まっている」「どこそこでは何が流行っている」とかを歌い語りながら、ニュース・ペーパー的な役割も果たしていた。ポップ・ミュージックにはそういう機能があったんです。じゃあ、これを模倣してみよう。ポップ・ミュージシャンが時を経て、同じ役割を担おうとするのも面白いんじゃないかと思って。