円安バブル崩壊―金融緩和政策の大失敗 | 野口 悠紀雄 |本 | 通販


が止まらず、1990年以来32年ぶりに1ドル=150円を突破しました。円安がここまで進むと何が起こるのか、円安は悪いことなのか。解説します。


歴史的なが続いている。4月末には一時1ドル=160円台をつけ、1990年4月以来の水準まで下落した。当時はバブル景気まっ盛り。85年の後の「行き過ぎた円高」に対処すべく、やを進めた結果が円安をもたらした。いまと違うのは、当時の日本経済には、まだ余裕があった。

A 外国の通貨に対して円の価値が下がることだよ。例えば、あるとき1ドルを100円で交換できたとしよう。それが1ドル=110円になると、同じ1ドルを手に入れるのに110円かかる。つまり、円の価値が低くなる「円安」だ。逆に1ドル=90円になると、円の価値が高くなるから「円高」と言うよ。

【そもそも解説】1ドル=150円 歴史的な円安はいいの?悪いの?

日本経済がバブルに入る前。80年代の国際問題といえば、日本のだった。主な輸出先の米国から「対外貿易不均衡」の状態にあると突き上げられ、ドル高の是正を求められた。85年9月、日米欧の主要5カ国が米ニューヨークのプラザホテルに集まり、為替相場のを決めたのが「プラザ合意」だ。1ドル=250円程度だったのが、3年後に120円台まで上昇した。

A 今年3月には1ドル=115円前後だったけど、今では1ドル=150円台まで下落した。円の価値はドルに対して7カ月で35円程度、下落したことになる。1ドル=150円は、バブル景気の終盤にあたる1990年8月以来の水準だよ。

円高は輸出企業の業績悪化を招き、経済の落ち込みにつながるとして、企業や世間の不評を買った。こうした状態に対応しようと、政府とは財政出動と金融緩和を強めた。80年代末ごろから円安に転じ、90年4月に160円まで戻した。その後、バブルが崩壊。海外の資産を国内に引き揚げる動きなどから円高方向に進んでいった。

当時の記憶を呼び起こしてみます。1985年のプラザ合意後に進んだ急激な円高のインパクトは、一般庶民の肌感覚としてもとても大きいものだったと記憶しています。それまでは1ドル250円程度だった円相場が120円台まで高騰し、160円台に戻した


1985年初めの円安ドル高について,「ドル・バブル」であるとの見方が広まり ..

日本政府は、急激な円高で日本の輸出企業が大きなダメージを受けることを避けるために、景気対策として超低金利政策を推進した。これが世界景気の拡大および日本のバブルを助長することとなった。ドル円は1990年4月には160円35銭まで買われ、4月の月中平均は158円50銭と約7年6ヵ月ぶりの高値を付けた。

1ドル160円を突破して見に来ました。本当に分かりやすくて感動です。佐々木さん、またお願いします。

90年以降は日本のバブルが崩壊し円高が進行した。1995年4月にはドル円は一時79円台と80円を割り込み当時の史上最安値をつけた。4月の月中平均は83円53銭だった。90年代後半には、日本の銀行の不良債権が拡大し金融機関が相次いで破綻し、アジア通貨危機も起こったこともあって円安が進むことになる。ドル円は1998年8月には147円台を付け、1990年4月以来、約8年4ヵ月ぶりの高水準となった。

金融正常化が遅れて「円安株高バブル」を生んだ日銀の責任 · 植田総裁「時間的余裕ができた」

90年代後半のアジア通貨危機後から2000年台初にかけてITバブルで世界的な景気拡大局面があった。世界景気拡大でドル安が進み、1999年11月には101円台の円高を付けた。月中平均では1999年12月の102円61銭が円高のピークとなった。2001年に米同時多発テロが起きたことで、ITバブルは完全に崩壊する。ドルは売られたが円も売られたため、ドル円は比較的狭いレンジでの動きだった。2007年の世界的な景気拡大局面にあわせて、ドル円は2007年6月には122円64銭と約8年10ヵ月ぶりの円安をつけた。

また,円高とバブル経済の発生による株価の急上昇を背景に,大企業等は「財.

プラザ合意で決定された先進国間の為替レートの調整は劇的な成功を収めました。プラザ合意前後に1ドル=240円前後だった円ドル相場は、1985年末には200円割れに、1年後には150円へと急激なドルの下落が実現しました。アメリカの貿易赤字の元凶はドル高と高金利ですが、その根っこにあるものは財政赤字です。その財政赤字に本格的なメスを入れることなしに、為替レートを調整することでまず貿易赤字から削減しようという試みが先進国間で合意され、実行されたのです。

一気に円高146円台に!!これが投機円得売りバブル破裂の ..

平成が始まった1989年、日本はバブル経済の真っ只中にいました。その年の12月29日、日経平均株価は現在も破られていない最高値3万8915円87銭を記録しました。

東京外国為替市場の円相場は10月20日、一時「1ドル=150円」まで値下がりしました。ここまで円安が進んだのは、実に32年ぶりのことです。

その後バブルは崩壊し、景気の低迷期に突入。1992(平成4)年3月に2万円を割りました。2000(平成12)年頃のITバブルでネット関連企業の株価は上がったものの、2003(平成15)年には7607円88銭まで下落。その後1万円台を回復するも、2008(平成20)年にはリーマンショック後の景気悪化で再び下がり、10月28日には一時バブル崩壊後の最安値となる6994円90銭を記録しました。

予想以上に強い米景気が続くなか、米国の高金利が長期化し、日米金利差の「米ドル優位・円劣位」を受けて“円売りバブル”が止まらない現状。

第二次安倍政権が始まりアベノミクスなどによって経済は回復し、日経平均は2015(平成27)年に再び2万円を超えました。2018(平成30)年10月2日にはバブル崩壊後の最高値となる 2万4448円07銭を記録しています。2019(平成31)年の取引初日(1月4日)の終値は1万9561円96銭でした。

投資家サーベイ「日経平均3万円台はバブル?」結果発表 | お知らせ

2000年代に入ってからは100円台から120円台で推移しましたが、2011(平成23)年には東日本大震災の発生による円需要の高まりなどによって再び1ドル80円を割り、その年の10月末には現在まで破られていない円の最高値75円32銭を記録しました。

日経平均、3週急落 バブル崩壊期以来 円高の業績見通しへの影響は?

プラザ合意に基づいてアメリカの経済問題に全面的に協力した日本では、その副作用がどっと押し寄せることになりました。日本の産業は15%が輸出関連であるため、円ドルレートがプラザ合意をはさんでわずか1年間のうちに240円から150円まで円高に振れたため、国内経済は強い不況に直面することになりました。「円高不況」は日本でも政治問題になり、そこで日銀は不況対策として、1986年1月から1987年2月まで合計で5回の公定歩合引き下げを実施しました。この結果、プラザ合意前に5.0%だった公定歩合は、1年半後の1987年2月には戦後最低の2.50%まで急低下することになりました。

日経平均がバブル後高値(24245円)を超えると予想する3つの理由

平成元年の1989年、大卒の初任給は全企業規模平均で男性が16万900円、女性が15万5600円でした(厚生労働省、産業別新規学卒者の初任給の推移<平成元年~平成30年>より)。当時バブル期を迎えていた日本では、その後数年間、初任給の金額が前年比で男女ともに5%前後増える時代が続きました。

バブル景気(ばぶるけいき) | 証券用語集 | 東海東京証券株式会社

このデータでは、普通は10万枚以上が「行き過ぎ」圏だから、2022年、2023年と円売り越しが10万枚を超えると一巡となったわけだ。その観点からすると、20万枚近くまで円売り越しが拡大した2007年6月は、極端な「行き過ぎ」、つまり円売りバブルが起こったと言えるだろう。その2007年と、最近にかけての状況はよく似ている。2024年に入り161円まで歴史的円安が展開した動きは、2007年と同じ「円売りバブル」がもたらした可能性が高かったのではないか(図表3参照)。

円の対ドルレートの推移を月中平均値でみると,1月の125.01円から,6月には16.5%円高の107.34円となった。 ..

2007年の円売りバブルは、6月にピークアウトすると、その後2ヶ月で消滅した。9月から米国の連続利下げが始まり、日米金利差米ドル優位・円劣位が急縮小に向かうことを先取りした可能性が高かった。